ザ・ベンチャーズ (The Ventures) は1959年に結成されたアメリカ合衆国のサーフ・ロックバンド。特に日本に於いてはビートルズと並ぶロックの祖とされる。
ベンチャーズが日本で人気が出たのは1965年の日本公演。彼らのその演奏だけのシンプルなサウンドはたちまち日本の若者たちをとりこにして、日本にエレキ・ブームを巻き起こし、「ダイアモンド・ヘッド」、「パイプライン」、「10番街の殺人」、「ウォーク・ドント・ラン」、「キャラバン」など、数々のヒット曲を生み出した。
彼らが本国アメリカで人気があったのは1960年代までで、1970年代にはほとんど無名のバンドに転落したが、日本では依然として人気は絶大であった。
彼らは今度は作曲家として日本向けに「京都慕情」、「京都の恋」(渚ゆう子)、「二人の銀座」(和泉雅子&山内賢)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)、「北国の青い空」(奥村チヨ)などの歌謡曲を送り出し、それらはベンチャーズ歌謡と呼ばれた。
現在でも日本に於いて定期的にコンサートツアーを行っている。アメリカのバンドではあるものの、アメリカ以上に日本のポップシーンに影響を及ぼした。レコード等の総売上は4000万枚を超える。
60年代当時、2ヶ月に1枚のハイペースでアルバムを出しながらツアーを回るというスケジュール事情から、ベンチャーズのメンバーは60年代には基本的にステージメンバーであり、レコーディングでは過半数の音源がスタジオ・ミュージシャンによるものであるという研究もなされてきているが、そんなことは全くのデマであり、他のアーティストのシングル発売のペースでアルバムを発売していた。
日本における楽器産業は、山葉寅楠が浜松に合資会社山葉風琴製造所を設立してオルガンの製造を始めたのがその興りである。山葉風琴製造所はその後日本楽器製造株式会社、ヤマハ株式会社へと姿を変えるが、その過程で河合小市が独立して浜松に河合楽器製作所を設立。河合の尽力によりヤマハ、カワイといった日本のピアノが世界に知られることとなり、浜松は楽器、とりわけピアノ製造の一大拠点となった。
2005年にはローランドが浜松に本社を移転し、これにより国内三大楽器メーカーのすべてが浜松に本社を置くこととなった。これらの子会社、関連会社を含めると日本のほぼすべての楽器メーカーが浜松と関連をもっていることになる。